C6 「群集の人」


2015 設計演習C 第六課題 



「群集の人」


エドガー・アラン・ポオ(Edgar Allan Poe(1809-1849))は、19世紀初頭のイギリスに生まれ、同時代の中で近代化の過程を描出し得た希有な存在である。数多くの作品を残しながら、不遇の生涯を遂げたポオであるが、後の詩人や作家に勁烈な痕跡を残し、文化芸術を開拓した人物の一人である。別添の、1940年のロンドンを描いた『群集の人』の一部を読み、2015年現在の新宿界隈における「群集の人」を描きなさい。一般に「群衆」あるいは「群集」(日本語において区別は曖昧なままであるが)と記述される概念の認識は、18世紀末のフランス革命を契機とされている。その後、19世紀の都市化と併行して、現在までを貫く、集団が意志をもち、集団が行動を規定するといった民主化の時代が繁栄した。八木敏雄氏が「群集」と訳した様に、この時代の中でポオが固執したものは、社会を昂揚しようと欲する「群衆」ではなく、都市の中に現れる不可避な存在としての「群集」であった。ポオにとっての「群集」は、都市であり、近代であり、生きられた空間であると考えたい。条件は以下の3点とする。
  • 「群集」の様相を具に観察すること
  • 其処に在る「行為」を丹念に採集すること
  • 「群集」における作者自身の「存在」あるいは「不在」を明確に描くこと


cf.『群集の人』“The man of the crowd”エドガー・アラン・ポオ著、八木敏雄訳提出物:ドローイング275×275mm枚数:表紙+2枚以上材料:表現する方法に準拠した材料を選択すること。
出題:11月18日
提出:11月25日
講評:12月 2日
文責:早田

















1X14A116 範田 明治 A+++
Paul Klee の天使の絵の模写からはじまり、人間の様々な様態のスケッチを延々と描き、studyし、考察した規格外の力作である。Poeがそうした様に人間の存在がどうしようもなく持ってしまう、差異や個性を刻明に、粛々と描くことによって、はじめて「群集」の様態に近づくことができるということを、おそらく作者自身の手が最も強く感じているであろうと思わせる、極めて秀逸な作品であった。(早田)










1X14A156 山本 圭太 A++
電車の中で眠りこける人々。その人々の後ろにただようのは背後霊なのか数時間前のその人自身の姿なのか、あるいは夢の中の像なのか?群集を形づくる無数の虚像の群集。実像に色彩はなく、恍惚とした表情を浮かべる虚像達に存在としての実権はうつされてしまっているかのようだ。(村上)














1X14A023 太田 歩 A++ 
暗い地下鉄の車両の中、鮮明に光るのはディスプレイの「群集」だけ。現実的にはなかなか遭遇しそうにない風景だが、どこか見たことのあるものに感ぜらるのは何故だろうか?空虚さは群集を語る上で欠かせない側面だが、それを声高にではなく示すことで、明快だが単純な結論という罠から逃れ得ている。(山本)












1X14A021  江頭 樹 A++

The light in the city/ Shinjuku。タイトルにあるように新宿の夜のネオン溢れる街の雰囲気を油彩で描いている。靖国どおりから歌舞伎町方面を見ているようだ。新宿の定番の道筋であるが、群れ、集まってくる人々を都市の奥の歓楽の世界に誘い込む臨場感が光の輝きの重厚する世界によって良く表現されている。(入江)








1X14A081 鈴木 優也 A++
赤い絵の具をめくると、そこには小柄な男の鋭く不敵な視線。無表情に見える群集の波の中にある感情のひだを、一人の知的な男性の表情で端的に表現している点が秀逸。(村上)





1X14A137 増田 渓人 A++
「ヒトナミ」と題された、群集の溶け合う輪郭を、2本の線と表現手法の異なる多色の色彩で表した作品。群集という記号化された概念ではなく、一つの有機体として、群と個を同時に描き出している摘出の方法が秀逸である。(早田)









1X14A150 森 奈穂美 A++
群集と個人の相互生成関係を明快に描き上げた作品。テーマがクリアである分、表現が説明的に過ぎる点が目についてしまう。(山本)






















1X14A145 宮原 萌 A++
たまり。三枚の部厚く塗り込められた黝い色調の背景が印象的であって、都市の帳が深まりゆくところに、人の群れからスポットのように切られた場所がたまりとして生まれる。悪ガキたちの限られた尖った世界がドンヨリと実在感をもって生まれてくる。ふかされ廃棄された煙草の吸いがらやチャリンコ。都市のふき”たまり”に見える描いた力のこもった作品。(入江)























1X14A121 平井 周介 A++
「僕だけが裸だった」と題された、高田馬場駅前のBIG BOXにかつて描かれていた裸の人物をモチーフとして、都市の中に異物としての存在がまぎれこんだ際の人々の様態を描きとった作品。指を指す人、目をふせる人、ひそひそ話をする人、何事も無いかの様に振る舞う人など、アクシデントに対する人間の行動がいかにパターン化され、群集がいかに記号化されていくか、その一瞬を切り取ったともいえる。裸の人が、元のはしっているモチーフではなく立ち尽くしている点もよい。(早田)



















1X14A064 齋藤 隼 A++
「群集が個人を作り上げ、個人が群集を構成する」というテーマをコンセプチュアルかつ端的に表わした作品。色調の異なるスパッタリングを強制的に隣接させた表現は鮮やかで効果的に群集を表現している。(山本)











1X14A057 小谷 春花 A++
ありすぎて、ない/流れる。群集は見えない、ありすぎるものは人々の指紋の塗り重ねである。水平に漂う人は”流れる”ことで指紋をおとしているのだろうか。指紋という人の痕跡を重ね合わせることで、群れ集う人々の存在を間接的に示しながら、同時に水に流すことで人はその束縛から開放されるのだろうか。(入江)













1X14A063 小林 雄樹 A++
「新宿は豪雨」と題された刻明に新宿の都市を描いたスケッチの上に様々なモチーフがパッチワーク、またはコラージュとして表現された作品。新宿という場所の持つ、性質と、そこに集う群集の、その性質に影響せざるを得ない群集の様態を描き出そうとしている力作である。枠を外れた、プリミティブアートとしての表現を目指すのであれば、もっと枠を外れるべきであった。(早田)









1X14A022 大木 玲奈 A++
スマートフォンの画面にのめり込む人々。テーマとしてはありきたりであるが、頭部を画面からスパっと切り取ってしまった暴力性が良い。ただ、テーマの弱さに平面的な表現が重なり。印象としてはかなり弱い作品になってしまっている。(村上






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