「反自然」
「反自然」
出題: 5/27(水)
提出: 6/3(水)
講評: 6/10(水)
出題者:山本
1X14A156 山本 圭太 A+++
街を行き交う人々の群像、しかし彼らの表情は錆びた銅板に置き換えられており、その人間性は剥奪されている。ドローイングの密度、空虚感、虚無な雑踏の表現は素晴らしいが、「子供だけが人間性を維持している」という結論はやや陳腐に感じずにはいられない。(山本)
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1X14A063 小林 雄樹 A++
大量の本から一冊の本を選び購入する時、そこには必ず選び手の意図がある。さらにその大切な本達を本棚に並べていく時、作為が出現するがそれは限りなく内的で個人的な好ましい作為では誰もが現在進行形で体験している喜ばしい作為を可視化した、好感のもてる作品。(村上)
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1X14A137 増田 渓人 A++
「変体記」というタイトルが付され、不自然な視点を描くことで主人公の身体が変質してしまう様を描き出している。カフカの「変身」を思わせる臨場感にあふれた大作品であるが、不必要なギミックに走りすぎていて、作品としての感動を弱めている。もっと正面から勝負して欲しい。(早田)
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1X14A081 鈴木 優也 A++
人間≒機械?あらゆるものを摂取する人間は自然な生物なのだろうか。人間とは呼吸する穴であって、あらゆるものを消化する機械ではないのか。その脈絡が反自然的人間の形象を生み出していたのだろう。解釈の仕方にもう一つ深まりが欲しい。(入江)
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1X14A034 加藤 進介 A++
笑う野口英世、ビジュアル系な樋口一葉、そして大隈重信の一万円札。権威や権力とも密接に結びつく紙幣がいかめしい肖像を持つことを我々は疑いもしなかったが、それが思い込みに過ぎないことをこの作品は軽やかに教えてくれている。(山本)
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1X14A129 古垣 ゆかり A++
「純」。能面を付けた女性が、音曲にあわせてたおやかな舞を見せている。その一連の流れが留まり、そこに前記の一字「純」が刻印される。そして大写しされた能面が画面一杯に表現されるのである。人間の日常の時空という自然を断ち切った断層に「能の舞」を設えられたようだ。表現が尽くされている。(入江)
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1X14A022 大木 玲奈 A++
押し花を封じ込めた作品。線画を対称させることで、押し花の持つなまめかしさが全面にあらわれる。人間の手ににぎりしめられた花は一見、美しく力強く花ひらいているように実は生命の源を絶たれている。私たちが愛でている「花のありよう」は不自然なものでしかないのかもしれない。(村上)
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1X14A121 平井 周介 A++
「本音を漏らす瞬間」塗りつぶされた背景に貌だけが浮彫りにされている。この基本構図
に二重の絵が口の前に右手と左手が、かざされる。自然な右手のかざし方と、外側から繰り出された左手のかざし方が、その微妙な行為の差異に、「自然」を突き崩す現象があらわれる、と言いたいのだろう。版画的タッチゆえの剄さがいい。(入江)
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1X12A158 藤波 怜司 ルイス A++
誰もが見たことのあるイメージを全て直線に置き換えた作品。曲線と直線のみで、自然と人工を対比することは難しいが、近似値の作為的な選択によって、みるものの印象は全く異なることを表している。デジタルアートの可能性にも近づけるのではないか。(早田)
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1X14A125 福井 亮介 A++
シャーレにうごめく細菌群を描き出した作品だろうか。本来自然である筈のものがスケールの異なる我々にとってそう感じられるものではない、という作者の主張が明快に表現されている。(山本)
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1X14A075 秦 思嘉 A++
「箱男」をほうふつとさせる劇画タッチの作品、ゲリラ的にあらわれる。彼らは都市生活者としてはごく自然で合理的なあり様を見せているが、箱男である本人たちにとっては非常に不合理で反自然な状態なのかもしれない。箱を運ぶ人物の表情が示唆的なものであった。(村上)
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1X14A016 射場 雅斗 A++
我々人間が生きていることが、そのまま「反自然」であるというメッセージ性の強い作品。ていねいに描かれた作品であり、アイロニーも理解できるが、よりユーモアに近づいた方が作品としての質は高まったのではないか。(早田)
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